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自己紹介

はじめに

はじめまして!

ゆきです!

このたびは私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。

私は、幼少期からちょっぴり(!?)波瀾万丈な生き方をしてきました。

普通に生きていたらやりたいことが見つかり、幸せな生活ができる。

そう信じていましたが、「普通に生きる」がなんとまあ難しい。

社会人になってからずっと人生迷走し続け、気づけばアラフォーになっていました。

そんなアラフォー目前の私は、自信もなければ貯金もない。
あるのはローン返済のみのお先真っ暗な状態でした。


私はこのまま何もないまま年老いていくのか・・・?
ローンの返済をするために働き続ける人生なのか?

不安にさいなまれていた私に1つの希望の光がさしました。

それが「Webマーケティング」を学び
スキルを活かして在宅ワークで働くことでした。

そこで、私が決めた目標は

1年後に月収50万円
2年後に月収100万円を達成することです。

急な展開に「えっ、どういうこと!?」と
追いつかない方もいるかもしれません(笑)

ただ、これは私の思いつきでも、勢いで決めたことでもありません。

「Webマーケティング」を学んだ先にこの月収を達成している人たちをみて
「何もない私にもチャンスがあるんだ!」と可能性を感じ、目標を設定しました。

私のように、アラフォー目前にしてお金も自信もない人でも
スキル0でも稼げるWebマーケのスキルを取得することで

人生真っ暗と思わないでほしい
何歳でも諦めなければチャンスはあることを知ってほしい


そんな思いでこのブログを立ち上げました。

 

今回は、ついこの間までお先真っ暗だったアラフォーの私が

どのようにしてWebマーケティングに出会い、ここまでに至ったのか。

きっかけと背景について
私の自己紹介を含めてお話していきたいと思います。

少し長くなりますが10分ほどで読み終わりますのでよければ読んでみてください。

基本情報


名前:ゆき
性別:女
生年月日:1986年9月30日
職業:在宅フリーランス
好きな食べ物:ミスドのドーナツ(新作が出るたびに買ってしまう)
趣味:漫画・アニメを見ること
好きな漫画:キングダム(夫の影響、今では夫よりもハマっている)
好きなことば:大器晩成(自分もそうなるはず、と信じている)

幼少期〜中学生時代:幸せな家族・・・のハズが、突如変わった家族のかたちに


私は、中学の同級生だった父と母の間に産まれました。


当時、父の仕事の関係で横浜に住んでおり
母は、地元の愛媛で里帰りをして私を出産。

私が3歳になるまでは、よくある家族と同じように
休みの日には動物園や遊園地などいろんなところへ連れて行ってくれました。

TV局勤務の陽気な父と、専業主婦の真面目な母。

このまま私の人生、
「横浜育ち」というおしゃれなブランド付きで
「普通」に進んでいくはずでした。

しかし、その「普通」が「波瀾万丈」に変化しはじめます…!

実は、父は、母が里帰り出産をしていた間に
他の女性と付き合っていたのでした。

えっ、ドラマとかではよく見るけど
本当にあるんだ・・・しかも、それが自分の父!

この話を母から聞いたのは
私が成人になってからでしたが、かなりの衝撃でした。

また、父はお金の管理にもだらしがなく
競馬などギャンブルにも依存。

母は、そんな父の近くで私を育てることは良くない!と判断し
3歳の私を連れて愛媛の実家に戻りました。

私のことを「引き取りたい」という父と母の話し合いは続きましたが
私が小学校2年生の時に正式に両親の離婚が成立。

祖父母と母、母の弟(おじ)と妹(おば)との暮らしがはじまりました。

おじは、誰もが知る大企業での重労働にやられてうつ病になって会社をやめてひきこもりに。
おばは、ずっと婚期を逃し続け、実家のすねをかじり続け1人じゃロクに生活もできない。

特殊な大人たちのそばで
他とは違った家族のかたちの生活を送りました。

祖父は、昔ながらの厳格な父親だったため
私のしつけにはとても厳しく

食べ物の好き嫌いが多かった私は
よく怒られては泣いていたものでした。

ただ、父親のいない私を悲しませまいと
「わしがゆきの父親やけんな」と一緒に遊んでくれたり

私がいじめられて泣いて帰ったときには
いじめっ子たちの家までいって注意しにいってくれたり。

「そこまでしなくても・・・」と恥ずかしい思いをすることもありましたが
父親がいない寂しさを感じないくらい家族の愛情をたくさん受けて育ちました。

また、心優しい母は、私に対して
父への不満を何一つ言わなかったこともあり(むしろ「良い人」と話してくれていました)
てっきり父は良い人なんだと思い込んでいました。

(私が社会人1年目になって父と再会する時までは‥。)

高校生〜大学生:ごく平凡な高校生活とキャンパスライフ


小学生の頃はガリガリの痩せ体質で見るからに弱そうだった私。

クラスのいじめっ子に体操服を隠されたり
ちょっとしたいじめを経験したこともありましたが

中学〜高校は、幸いにも友人にも恵まれ
特に目立ったことはなかったものの、毎日を楽しく過ごしました。

部活は、足が早かったわけではありませんでしたが
走ることが好きで憧れの陸上部に入部。

毎週、急な山を駆け上ったり、川沿いを永遠と走るトレーニングには
何度も辞めたいと友人に弱音を吐いていましたが、

友人の励ましや支えのおかげでなんとか卒業まで継続。

とはいえ、残念ながら、陸上の才能はなくて、毎回大会は補欠。

全然上達しませんでした。

自分よりもレベルの高い人たちが多く学歴は平均ではありましたが
勉強も真面目に行いました。

どうせなら地元を出て「都会の私立を受けてみよう」と

目標大学を変更して勉強を頑張ったところ無事に志望校へ合格。

憧れの東京での大学生活が決まりました。

ある程度英語ができるし、得意なのかも!
と思って英米文学科を専攻していた私でしたが
まわりの帰国子女や全国から集まった学歴の高い人たちに囲まれ、急に自信喪失。

要領よく勉強のできない私はギリギリ平均点をキープ。

「東京まででてきてやりたかった勉強なのか?」と疑問を抱きつつも
「せっかく東京にきたのだから!」と将来のことはいったん横に置き

「今しかできない経験を積もう」と
勉強を頑張ることよりもいろんな経験や体験をすることにシフトチェンジ。

初めての彼氏もでき、最低限の授業の参加と単位取得で
彼氏や友人との時間を優先し「THE・キャンパスライフ」を楽しみました。

そんななか、大学3年になり就活がスタート。

「ずっと学生のままでいたい」と思っていた私は就活に力が入らず
大学卒業ギリギリまで就活を続けていました。

(本当に失礼ですが)「もうここでいいや」と、なんとか受かった会社へ就職。

何もワクワクしない新社会人生活がスタートしました。

新社会人:コンプレックスだらけで将来に希望が持てない毎日


まわりは行きたかった会社や

大手の安定している企業に就職できた友人ばかり。

一方、私は、知名度もなく
久しぶりに新卒採用をしたという
小さな老舗のアパレルメーカーで20代の社員は同期の4人だけ、
先輩は30代オーバーの、なんの華もない会社に就職。

思った以上に給料も安く、

「地元の愛媛に母を残してまで働く価値のある仕事なのかな」
「このまま頑張った先に親孝行できる未来があるのかな」

漠然とした不安を抱えつつ、目の前の仕事をこなす毎日でした。

職場には、お小遣い制で毎日カップ麺や
スーパーの値引きされたお弁当を食べる5〜10年先の先輩。

優しくて、人として悪い人たちではありませんでしたが

とてもじゃないけど、「こうなりたい!」と1ミリも思えない人たちばかりの会社でした。

何か違うことをしないと
このままでは理想の未来にならない。

このとき、転職をするか、何かスキルをつけなきゃ

焦っていた23歳でした。

23歳〜26歳:ネットワークビジネスとの出会いと授かり婚での変化

転職かそれとも資格やスキルを身につけるか・・・

現状を変えなければと
日経WOMANやら資格の本やら、自分の方向性を模索していました。

そこにつけこむかのように、久しぶりに会った大学時代の友人から

「女性の起業家さんを紹介したい」と紹介してもらいました。

「子育てと家庭を両立」「親孝行を実現」
「好きな時に好きな時間働く」「自宅はタワマン」

当時の私にとって「憧れ」をネットワークビジネスで成功し
すべて手にいれていた女性起業家さん。

無知な私は
「この人のように豊かになりたい」
「ようやく私の人生が幸せになるチャンスきたカモ!」

と思い、即決でその女性起業家さんに弟子入り。

当時付き合っていた彼氏や母から
猛反対されたにもかかわらずネットワークビジネスをスタートしたのでした。

朝9時〜18時は普通に会社員として働き

18時〜夜中2時ころまで、セミナーやビジネスの勧誘のための予定に集中。

素直な私は、教わった通りに努力した結果
周りよりも少しはやいスピードで結果を出していました。

そんななか、父から突然
「社会人になったお祝いをしたい」と連絡があり、会うことに。

離婚した父からの突然の連絡に驚きましたが
社会人になったことを覚えていてくれたんだ!と嬉しい気持ちでいっぱいでした。

父との予定当日。

渋谷で待ち合わせをしてパスタを食べた後

「ゆきちゃんの家の近くの居酒屋でもいって飲まない?」と言われ

「ん?渋谷じゃなくて私の家の近く?」
と一瞬、不思議に思ったのですがそのまま移動。

居酒屋で席に着いた瞬間、父の表情が変わり

「今からゆきちゃんの名義でカード作ってお金貸してくれない?」

「えっ・・・」
その瞬間私の背筋は一気に凍りました。(ドラマじゃないよね!?)

父の顔をよく見るとまぶたが腫れていることにも気づきました。(こわっ)

その瞬間、大変な人からお金を借り
返済できずに暴力を受けたことで顔が腫れていたんだと気付きました。
(ホントにそういう世界、あるんだ・・・)

父親に会えて嬉しかった気持ちが一気に冷め、恐怖に変わった瞬間でした。

「力にはなりたいけど、それは無理!ごめん!」と伝えると

「自分もこうなりたくてこうなったわけじゃない。
長男として良い子を演じ続けて疲れて、その結果

ギャンブルに依存してしまい、首が回らなくなったんだよ・・・」
と、泣きながら話をする父。

自分のせいじゃない、悪いのは育った環境だと
言い続ける父親にはガッカリしてしまいました。

また、子どもにお金を借りるまで
大変な状況にもなった父をみて悲しい気持ちにもなりました。

「もう頼れるのはゆきちゃんしかいない」と

若干声も強くなっているのを感じましたが

恐怖を感じて父を振り払って居酒屋を飛び出しました。

「追いかけられたらどうしよう〜〜〜涙」

陸上部時代、毎回補欠だったとは思えないくらいの早さで
なんとか逃げ切り、帰宅!

そこで、祖母(父の母)に急いで電話をして、助けを求めました。

「大丈夫、ばあちゃんがなんとかするから」といってくれ
不安と安心が一気におしよせて大泣き!

気づいたら寝ていて朝になっていました。

後日、祖母が父の借金をすべて返済して解決した話を聞きましたが
この経験は、今でも私にとって深く残っています。

お金に振り回される人生は嫌だ!
お金を正しく稼いで使い、管理しなければ
ここまで人が変わってしまうんだ・・・と父親から学びました。

この経験から、
当時の私は
ネットワークビジネスを頑張ることで
お金に困らない生き方ができる唯一の手段だと信じていたため
(無知でした・・・)
本腰を入れてがんばりました。

しかし、うまくいくことばかりではなく
経済的にも体力的にも限界がきていました。

そんななか、友人のつながりで出会った人と付き合い
付き合って3ヶ月で妊娠が発覚!

・・・私の人生、いつも急展開です(笑)

実は、このときの私にはビジネスで借金が200万円ぐらい出来ていたため

自分では払えなくなり、結局親に正直に話して肩代わりをしてもらうことに。

親孝行したいと思ってはじめたのに
結果、親に迷惑をかけて何をしているんだろう・・・と自己嫌悪。

実は、母は、私がビジネスをスタートしてから
「変なビジネスに巻き込まれたしまった」と
ノイローゼになりかけていたらしく


そこまで不安にさせていたことにも後悔をしました。

結局「こうなりたくない」と思った父親と
自分も変わらず余計に自己嫌悪に陥りました。

26歳〜36歳:子育てと仕事の両立に迷走しつづけついに倒れる

このままではダメだ!と思い私はビジネスを辞めました。

これからは「タワマン」も「裕福な暮らし」も
高望みしないから「普通」でいよう!


そう思っていたところ・・・

「俺、起業する!」

といって会社をやめて夫が起業スタート。

ハイ、「普通」じゃない道が確定…!

出産〜子供が1歳までは、
仕事を辞めて旦那さんのご両親から仕送りをもらいながら
生活費を工面して専業主婦として子育てに専念していた私は一気に不安に。

「え、生活費どうなるんだろう」
「私、仕事やめちゃったのにどうしよう」

旦那さんの夢を応援することが全くできず、自分のことばかり考えてしまいました。

また、「子どものために時間を大事にしたい」と
自分から選択して専業主婦という道でしたが

実際は心のゆとりもなく、社会から断絶されている気分もあり

まわりに頼れる友人・親のいない中で孤独な子育てに不安ばかり。

いま思うと産後うつになっていたなと思います。

これはまずいと思い、
自分と子どものために(あと、旦那さんのためにも)「働こう」と決心しました。

そこで、保育園併設のパートからスタート。

数年ぶりの仕事は慣れるまでが大変でしたが
社会との繋がりがもてることってありがたいんだなと感じながら働いていました。

子どもを保育園に預け出すと誰もが経験する急な呼び出し。


子どもの体調不良が重なり、仕事を休まざるをえず欠勤が続いたところ

「子どもの体調不良はあなたの管理不足だ」と言われてしまい
だんだんと居心地が悪くなり、退職。

ちょうど、認可保育園の空きがでて子供を預けて働けることになり

時短で派遣の仕事をしました。

そこでの頑張りが認められ
正社員への切り替えの話をいただき正社員に。

ただ、いじわるな女性先輩社員に目をつけられてしまい
理不尽にも社長へ悪口を告げられたことにより退職。


その後も派遣やパート、正社員などいろんな働き方を経験するものの
仕事に専念しすぎると、子育てや家事が疎かになり子どもも機嫌が悪くなり
どの仕事をしても家庭や仕事との両立に悩みました。

そうこうしているうちに、気づけばアラフォーに。
いい加減先を見据えた仕事をしなければ、と転職をしました。

幸いにも、望んでいた条件でもある
「正社員、フルリモートで役職あり」の会社に中途採用が決まり

「ここでなら在宅で子どもとの時間も大事にしながら
仕事のやりがいや自分の成長を感じながら働いていけそう」

「いい加減ここで地に足つけて働いていこう」と意気込んでいました。

しかし、現実はうまくいかず・・・

気分感情によって態度が変わる年上女性先輩に振り回され
仕事は22〜23時までする毎日。

在宅ワークは叶ったものの家族との時間は無く
駆け込むように夕飯をたべてすぐ仕事に戻っては深夜までパソコンに向き合い
先輩の機嫌を伺いながら仕事を続ける毎日。

長時間労働により心と体も休まず、
ある日会社から勧められて心療内科にいったところ適応障害の診断を受けました。

結局「ここだ!」と思った会社で体を壊してしまい
40歳を前にしてもう後がないと思い、人生ドン底になりました。

普通の生活さえできない私はこの先どうしたらいいんだろうと
この時期が私にとってはもっとも辛い時期でした。

37歳〜:フリーランスとしてのスタートとWebマーケティングとの出会い

「適応障害」として診断を受けた私は、しばらく休職することに。

ようやく毎月安定してお給料をもらい、ボーナスをもらえたら
生活にもゆとりができて子どもの将来や、
親への仕送りも少しずつできるようになる!


と思っていたにもかかわらず、倒れた私はそれどころじゃなくなりました。

この先どんな働き方をしていけば良いんだろう…

そもそも40を前にして、
あらゆる職を転々としてきた私を雇ってくれる会社なんてあるのだろうか


そう思って働き方を探していたところ出会ったのが
『リモラボ』というスクールでした。



「未経験でも、スキルを身につけて、個人や起業のインスタの運用を代行する仕事ができる」
「フリーランスとして、在宅ワークができる」


「今の私にはここしかない!」と思い、即入会しました。

持ち前の素直さと失敗を恐れずまずやってみようの精神と
40歳を前にして「もう後がない!」という危機感から

入会後2ヶ月で案件の獲得ができ、3ヶ月目には会社員と同等の収入を達成

会社を辞め、新米フリーランスとしての夢が叶いました。

おかげで人間関係のストレスもゼロになり
好きな人と好きなだけ仕事ができ
子どもとの時間にも柔軟に対応できる状態に。

ようやく迷走人生から抜け出した私でしたが、
実はこのままで良いのか?という不安があったのも事実でした。

まだまだ新米ですが、いま自分にできることはInstagramに関する仕事のみ。

今後、生き残っていくためには、
動画スキルやライティングのスキル、さまざまなSNSの特徴や強みを理解して
業界やジャンルにあわせたSNSを提案・活用していくことが必要です。

根本的に自分のスキルを磨いていく必要があると感じました。

そこで、今、私が学んでいるスクールで『Webマーケティング』を学んでいくことに決めました。

これから、Webマーケティングのスキルを身につけ
ゼロからでも月収50万円を達成することで

少しでも多くの自分と同じような経験や思いのある人にも

まだまだチャンスと可能性があることを伝えていきたい、
一緒に現実を変えていきたいと思っています。

私は、裕福でもなく自信も能力もなく
過去お金に苦労し、家族にも迷惑ばかりかけてきて
今まで胸を張れるものが何一つない人生でした。

まわりと比べても自信を持って
「これを成し遂げた」「達成した」といえるものが何もない。


そんな私が、ゼロからWebマーケティングを学ぶことで1年で変化

年齢を気にしたり自分に自信のない人
人生ドン底だと挑戦することを諦めている人

それでも、目標の収入を達成できる。
過去がどんなにぐちゃぐちゃな人生でも胸を張れる自分になる。

私の成長と変化でお伝えできたら嬉しいです。

皆さんがもし私のやり方を参考にして
Webマーケティングのスキルを活かして月収50万円を稼ごうとした時

何から進めていったら良いのかステップがわかるように、
成長過程を記録に残していきます。

次回、このブログのコンセプトについて、より詳しく記事にしますので、
ぜひ読んでいただけると嬉しいです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

ABOUT ME
ゆき
結婚・出産・子育てのライフスタイルの変化のたびに職を転々としてきたことから、アラフォーを目前にしてスキルも経験も何も積み上がっておらず、お金も自信もなかった。未経験からコツコツと学び1年で月収50万円を達成するためにWebマーケティングの勉強中(3ヶ月目)|アラフォー未経験から“独立を”目指す「WEBマーケティングビジネスで稼ぐ方法」を情報発信